友人が私の家に遊びに来たので、スーパー銭湯に行ってきた。
綺麗な脱衣所に、広い浴槽。風呂から出たら牛乳やコーラだけでなく定食や鍋まで置いてある飲食店。
下手をすればちょっとしたレジャー施設だが、ただ一つ文句を言うとしたら値段が高い。
風呂に入るだけで一人七百円もとられ、タオルセット付きだと千円である。
友人と「俺らがガキの頃ってまだ商店街に銭湯があって、すんげえ安かったよな」「自販機でジュース買う感覚で銭湯行ってたよな」「行ってた行ってた。石鹸置いてある所なんてないから自分らで持って行ってたよな」なんて話をした。
私の父なんて風呂に入るのが面倒くさいから銭湯に行くと言ってたくらいで、それだけ銭湯は馴染みの深いものだったのだ。
 
銭湯に行ったら行ったで、これまた色んな業種の人間がいた。
あの頃はまだ広島の廿日市商店街にもヤクザがいたから刺青を入れたおっちゃん達が湯船に浸かっていた。
それでも彼らが何かしてくることはなく、声を荒げることもない。
刺青の人と刺青の入ってない人が皆同じ浴槽に入っていたのだ。
体を洗うときに隣に座っている刺青のおっちゃんから「石鹸貸してくれ」と言われたこともあるし、私が濡れた床で滑った時も厳ついおっちゃんが「大丈夫か、坊主?」と声をかけてきたこともある。
風呂から出て扇風機で「あ゛—」と遊んでいると脱衣所のおっちゃん達が声をかけてきたり。
風呂に入って緊張が緩むのか、皆自分の身内話をしたり、おすすめのお遊びスポットを教えてくれたり、意味もなく「坊主、勉強しっかりやれよ」と言ってきたりと自然と交流が行われていた。

最近私は異業種交流会なんぞに参加してきた。
皆で名刺交換をして、さあ乾杯しましょうとグラスを掲げる。
第一回目は挨拶代わりに簡単な身の上話をするのがいいのだそうだ。
捻くれ者の私にはこの異業種交流会が合わない。
なぜわざわざセッティングをしてもらった上で身の上話をしなければならんのだ。
私が銭湯を嗜んでいた幼少の頃から二十年余りが過ぎ、商店街から銭湯の煙突が消え、商店街そのものの存続が怪しくなっている。
それと同時並行で、人間同士の交流も下手になっているのではないだろうか。
交流会の後半では参加者が隅の方で名刺を並べて必死に顔と名前を一致させようとしていた。

逆上せた顔で、ゲラゲラ笑って話していたあの頃のおっちゃん達が懐かしい。そう感じる今時の若者である。