結論を先に述べると、テレビが主役の時代は終わったからである。
戦後、人々の娯楽の中心はテレビだった。
一家に一台テレビが無かった時代、人々は街頭テレビに集まって番組を見ていた。
一般家庭でも買えるようになるとテレビは茶の間の主役になった。
カラーテレビの登場は当時の人達に衝撃を与えた。


テレビが娯楽の主流だった時代というのは、いわば人々は娯楽を与えられていたということだ。
例えばドリフのコントはどうだろう。
いかりや長介は当時の家庭では当たり前の頑固な父親的立場。加藤茶や志村けんは父親を困らせる悪ガキだ。
メンバーの一人である仲本工事は、「悪ガキが父親を困らせるコントは、当時父親に怒鳴られた人たちにとっては面白くてしょうがなかったはずだ」と語っている。
テレビ番組の中でもNHKは常に質の高い番組を提供してきた。
紅白歌合戦の盛り上がりぶりを見れば一目瞭然だ。
視聴者はそんな娯楽に惜しまず出資をしただろう。


ところが今はどうだろう。
ケーブルテレビに繋げばチャンネル数は莫大だ。
ネットの番組も含めればコンテンツは膨大で、個人が発信している番組も含めれば無限大と言っていいだろう。
時代は番組を与えられる時代から選択する時代、さらに発信する時代に変わったのだ。
そんな時代に、ある特定の放送協会にだけお金を支払ってくださいなんて理屈が受け入れられるだろうか? 
例え見ていなくても受信料を払うのは当然などという理由が納得されるだろうか?  
視聴者と放送する側で明らかに意識の差が生まれている。
どちらが正しいのかはわからないが、私は前者の方が新しいと思う。
仮に「お金を払えばNHKの番組が見られるようになります」という案内なら今より納得する視聴者は増えるだろう。


ニコ生のある番組で田原総一朗が「NHK受信料を無料にして一番困るのは民放だ」と発言していた。
民放とNHKの番組を比較した場合、質が高いのはNHKの方だ。だから同じ土俵で戦った場合、民放の視聴率ががくっと落ちるのだそうだ。
もしこの意見が正しいのであれば、戦後人々を支えてきたテレビ番組はいつしかテレビ局を支えるツールへと変わってしまったことになる。
本人達の気づかぬ内に、視聴者だけでなく、放送する側も番組に対する意識が変わってしまったのではないだろうか。


※人物名は敬称略。


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