プライベートで引きこもり支援の方や実際に無職の若者と接する機会が多い。
安易にカテゴライズしてはいけないと思うが、私は彼らに共通の特徴があることに気づいた。
それは生き方と働き方を混同している点だ。

親が言ったのか学校で教わったのか知らないが、家で「働くこととはなんぞや」みたいなことを考えながら隙を見つけてはオナニーをする連中は、社会では“演じる”という技術が必要だということがわかってないように思う。
昔読んだ本の中で「働くこととは役者になることだ」と書いてあった。
要は社会で働く上でありのままの自分なんて需要がないのである。
人生を通して見ればやりたいことをやるとかありのままの自分というのは大切なことだ。
が、働くことにこの考えを混ぜるのはマズイ。
お商売というのは相手のニーズに答えるということなのだ。
相手が求めていることに対してきちんとお返しをしないといけない。
そんな場でありのままの自分なんて許されるだろうか?
例えば魚屋で働いている人間が魚について詳しくなかったらどうだろう。
「なんで知らねえんだよ!」とお客が怒ると、魚屋は「はい。実は私、花が好きでして、ホントは花屋になりたいんです」なんて返されたらたまったものではない。
これはその人個人として付き合うなら面白いだろう。だが魚屋としては失格だ。

教育関係の方とお話をすると面白いことを聞いたりする。
特に若手の教師に多いようで、「なぜテストを受けさせるのか?」とか「学校の勉強は人生に役立つのか?」なんて議論をクソ真面目にする連中がいるそうだ。
ナンセンスな議論だ。
そんなものは出題者に求められているからとはっきり生徒に教えれば良い。
テストというのは将来役立つかではなく、何を求められて、何を答えたらいいかを学ぶツールだ。
人生に役立たせるのは教師ではなく生徒自身。
それを下手に哲学的に教えるから「働くとは何か?」とか考えながら家に引きこもる若者が現れるのだと思う。
社会では他人のニーズに答えましょう。ありのままの自分なんて捨てなさいという教育をそろそろ始めてもいいのではないだろうか。
役者の衣を脱ぐのは家に帰ってからで十分なのだ。



このタイトルで記事を投稿しようとしていた矢先、淡路島で震度6の地震が起こった。
朝日新聞によれば太陽光パネルが並んでいる土地が液状化したそうだ。
今後大きな地震が発生すれば全国のどこかの太陽光パネルが水没することだってあるだろう。
東日本大震災では原発が大きな事故を起こし、今でもその話題は絶えない。
昨今の災害はエネルギーというものを見直すのにいい機会ではないだろうか。

巷では代替エネルギーについて議論がなされ、反原発派や原発推進派などというナンセンスなものができている。
どちらにせよこんな地震大国日本で既存の発電システムだけでやっていけるわけがない。
一方世界では魅力的な発電技術がたくさん研究されている。
例えばスイスでは海上に太陽光パネルを浮かべるという案がある。
オランダでは羽も可動部もない風力発電機が開発されている。
福島県富岡町ではバイオエタノールの研究が進行している。
その他にもネットで検索するだけでワクワクするアイディアがたくさん出てくる。
しかしそういうアイディアも実用には程遠い。
その原因の一つに“その技術がどれだけの電力を支えられるか?”という疑問があるからだ。
この疑問を解消する最も有効な方法は家庭や小規模な施設で実験することだ。
私はその実験を被災者の仮設住宅で行えないかと考えている。
言い方を雑にすれば仮設住宅は簡素な作りだ。
そのためカスタマイズも一般住宅に比べて非常にしやすい。
羽のない風力発電機を一家に一台取り付け、農家の温室ハウスにはバイオエタノールを使用する。
使い勝手のデータは実際に暮らしている人達から収集すれば良い。
もちろん企業や研究所は協力者に報酬を支払う。
乱暴な意見だという人もいるが、こうすることで復興そのものがビジネスと技術革新に繋がる。

今までは被災者=助けられる存在だったかもしれないが、これからは被災者こそが日本の技術革新の要になる時代になる。
私はそういう時代の方が面白いと思うし、実行したいという人は密かにいるのではないだろうか。
炎上を恐れずに言うが、被災地が完全に復興するまで数十年はかかる。これは確実だ。
その期間を利用して、企業と被災地が協力して未来に残せる技術を残していくのか。それとも補償が出るのを待つだけなのか。
私は前者のほうがいいと思うのだがどうだろうか。



327日ついに堀江貴文が獄中から出てきた。
しかし新聞は芸能人でも扱うような記事しか書かず、彼がどんな心境で今後何を目指しているのかをきちんと報道したのはニコニコ生放送だけではないだろうか。

この記事のタイトルの「好き」とはlovelikeの意味ではなくinterestingの意味である。あるいはexcitingでもいいだろう。
現在の日本の仕組みに不満を持っている人は少なからず堀江氏の考えや発言が気になるはずである。
ではなぜ彼のことが気になるのか。
理由は、堀江氏が理想を簡単に口に出してしまうからだ。
これは子どもっぽいことかもしれない。だがそこに憧れを抱いてしまう。
そもそも民間人が気軽に宇宙に行けるようにしたいなどという考えを口にするところがもう小学生の作文のようである。
そういう発言が気に障る人もいるようだが、これは結構重要なことではないかと思う。

飛行機や車、電球も元は異端者の妄想だったはずだ。
日本人に馴染みが深いウォークマンもその一つ。
外で優れた音で音楽を聴きたいという願望が、優れた商品を生み出した。
盛田昭夫氏がこれを発表した当時、ソニーの役員会では不評だった。
しかしウォークマンはソニーを代表する商品となり、ブームの火付け役となった。
世の中の人達は音楽を持ち歩けるという夢に興奮したのだ。
私達は夢が現実になることにわくわくし、夢を実現する人に憧れる。
堀江氏が考えている民間による宇宙ロケット開発の夢もまた、私達が幼い頃抱いていた夢の一つではないだろうか。

なにも堀江貴文に限らず突拍子もなく、それでいて的を射ている案は世界にたくさんある。
最近NASAは宇宙空間に原子力発電所を作るという案を発表した。
海外では空中にプロペラを浮かべて効率よく風力発電を行う案も実現に向けて進行している。
これらの案は前々からディスカバリーチャンネルで放送されていた。日本のメディアが取り上げていないだけだ。
これだけテクノロジーが進歩した現代、子どもの頃描いていた空想を実現できないことのほうがおかしくなっているのだと私は思う。
無難なことを決して言わない堀江貴文。
世間からは敵視されることが多いようだが、「○○を削減します」や「世界に通じる会社を目指します」など抽象的でその場しのぎのような発言ばかりする経営者より堀江貴文の方がよっぽか具体的でロマンチックだ。
だからこそ皆、堀江貴文が気になってしょうがないのではないだろうか。