最近twitterにて茂木健一郎氏が公衆浴場でのタトゥーについて下記のような貼紙を貼るべきだと呟いた。
「当浴場では、他のお客様のご迷惑になりますので、タトゥー、刺青のお客様は入浴すべきではない、不快だ、断られても当然、自己責任だ、とお考えの差別主義のお客様のご入浴はお断りしております。みなさまのご理解、ご協力をお願いいたします」。
これに対して「当然だ!」「外国ではタトゥーをいれているのは当たり前」「日本は時代遅れ」という賛同する声が寄せられている。
所詮はSNSなので反対意見も多数あるとは思うが、こんなに賛成する人がいるのかと私は驚いてしまった。
茂木健一郎氏が言いたいことはだいたいわかる。
しかしタトゥーをいれるのは自由で、タトゥーをいれていることを怪訝な目で見ることは差別だというのは少々短絡的過ぎやしないだろうか。
茂木健一郎氏がどのような意図でこういう発言をしたのかはわからないが、少なくともこのツイートを我先にと拡散している人たちを見て私は首を傾げてしまう。


もう五年位前に私は彫り師の方とお話をさせていただいたことがある。
彫り師とは説明するまでもないのだが、人の体に絵を刻み込む人たちである。
もちろん彼らはそれを生業にしているのだから刺青とかタトゥーに関しては肝要だ。
だが、そんな彼らはこんな発言をした。
「最近は好き勝手に体に絵を描いてくれって人が増えよる。中にはナースやっとるのにタトゥー入れてくださいって人もおる。そういう人らは自分らの体の絵を見て周りの人がどんな反応するか考えとらんのかの。患者さんが刺青見つけたらどんな気持ちになるんかの。海に遊びに来た家族が、刺青だらけの人を見つけたらどんな顔するんかの。刺青とかタトゥーは背負うもんじゃろうが。背負う気がなくて遊びでいれるんならいれんなや」
当時はmixiだかでタトゥー擁護の発言が目立っていたときだったと思う。
そんな世間様の浮かれた様子を見て刺青を彫ることを生業にしている人たちが漏らした言葉だ。
私も幼いころ銭湯に行ったとき、刺青を入れた人や地元のやくざと一緒に湯船に浸かった。
広島の商店街ではそんな光景が当たり前だった。
知り合いにもタトゥーをいれた人がいる。
だからこそなのか。タトゥーの自由を叫ぶ人たちを見るとなんか違う気がするのである。


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