漫画、アニメに限らず映画や本など、これらが政府によって規制された場合どのようなことが起こるのか。
単に性描写や殺人描写がカットされるだけではないのか。
しかし曖昧な基準のもと規制が行われようとしていることを忘れてはならない。
基準が曖昧ということは選定する人間の価値観に委ねられるということなのだ。
ということは、もちろん悪用をしようと思えばすることができる。


皆さんは柳美里さんの小説「潮合い」をご存知だろうか。
作中には主人公麻由美が里奈をいじめる描写が何度も出てくる。
クラスメイト全員が里奈へ下着を脱ぐように強要するシーンもあり、性的ないじめの描写が多数存在する。
また、担任の先生による里奈の着替えの手伝いや、教師全員、果てはクラス全員で里奈へのいじめを隠蔽するシーンもある。
目を覆いたくなるような描写だが、これは小説。
文学とは本来人間の内面の残酷な部分などを描写する分野だ。
加えて、柳美里さんの文章は小説とも詩とも違う演劇をそのまま散文化したような独特な雰囲気なのが特徴だ。
その芸術性が評価されてか、柳美里さんは日本を代表する作家に挙げられることが多い。


さて、もし仮に日本の政界に極右の人が溢れていたらどうだろう。
在日韓国人が活躍することを好まない人が柳美里さんの小説を規制しようとした場合、「あなたが在日なんで出版を拒否します」とは言えない。
そんなことをしたら国際社会から睨まれてしまう。
そこで表現規制を用いる。
上述した性的描写を理由に出版禁止を通告する。
法律違反なので、罪に問うことも出来るだろう。
表現規制を盾に政府が人種差別をすることができるのだ。
それは人種差別だけに通じる問題だろうか? 
そんなことはない。
例えば過労死、デモ、就職難、横領、ニート、殺人、環境問題など生活していて不満に思ったり疑問に思う事柄を皆さん一つくらいは持っているだろう。
それら政府にとって不都合な真実を扱った媒体を表現規制を理由に抹消することが出来るのだ。
それこそDays Japanですら危ういだろう。


つい先日自民党の演説の際、プラカードを掲げた女性が自民党員にカードを没収される事件が起きた。
別に銃を構えたわけではない。
政府にとって都合の悪い意見が消されたのだ。
表現規制はSFの世界の出来事ではない。すでに起こっていることなのだ。



児童ポルノ禁止法改正に伴い、絵師や同人好き達も悲鳴を上げている。
その中には二十歳を過ぎていない世代も存在しており、選挙権を持たない彼らは政府に対して意見を言いたくても伝えられない状況に置かれているようだ。
そんな状況を打破するべく、私ならこうするという方法を二つ紹介する。


一つ目は、フリーペーパーやzineを個人、仲間内で作成し配布することだ。
フリーペーパーは説明不要だろうが、zineとはまだ馴染みのない単語だろう。
これも同人誌のようなもので、印象としては二次創作誌よりアートブックに近い分類に入る。
結局は同人誌で勝負するのかと思われるかもしれないが、これら紙の媒体は複数の団体と協力することでパワフルになる。
例えば作成したフリーペーパーをNPO団体の事務所や地域の交流スペースに置いてもらう。
探すのに苦労するだろうが、今や若者支援を謳っている団体は多い。
NPO団体は必然的に地元議員など政治に関係する人物の出入りが多い。
若者に対して友好的な市の交流スペースは自分達と同じような考えを持っている人を集めやすい。
そういった交流スペースは勉強会も開くため、様々な世代や職種の人が出入りする場所だ。読者や協力者を増やすのに効果的な場所だろう。


二つ目はディスカッションを動画に撮ってコンテンツとして確立することだ。
自分達と同じような意見、または正反対の意見を持っている人をかき集め、仲介役に信頼出来る大人(ここが難しい。マイケル・サンデル先生のような人がおすすめ)を呼び、徹底的に議論するのだ。
その様子をビデオカメラでもタブレットでもいいので撮影し、podcastyoutubeの番組、ニコニコ生放送で配信する。
要はTEDのような番組を自分達で作るのだ。


この二つの方法のみそは、コンテンツというところだ。
著作権のある商品として提供しなければ意味が無い。
そうしなければただの素人の趣味で終わってしまうからだ。
逆にきちんとコンテンツが確立されていれば、外国が興味を持ってくれ、夢の実現に協力してくれたりする。
ネットでは児童ポルノ禁止法改正に対しpixivで批判するイラストを描いたりする動向が窺えるが、そんなことだけしても意味が無い。
結局は身内だけの井戸端会議で終わってしまうのだ。
投票権がなくとも、政治に対して積極的になることは出来る。ぜひテクノロジーを駆使して自分の意見をきちんと伝えてみてはどうだろう。

◆参考サイト



政治について質問をすると、「憲法を改正するべきだ」「自衛隊をもっと強くするべきだ」と叫ぶ輩がいる。
選挙前、私が訊いた中でこのような意見を持っていたのは主に40代から60代の男女だった。
彼らの主張では現代日本は平和という椅子に座り続け、頭のボケた国になってしまっているようだ。
最近の領土問題、不審船事件、拉致問題、ミサイル問題を解決するためには日本の軍事力をとにかく強化させ、国民のボケた頭を目覚めさせることが重要らしい。
私らゆとり世代は、ちょうど小学校で戦時中終戦直後の差別を反省し、皆を認めようという教育が本格的に始まった世代だと思う。
しかし一方で不審船事件がニュースで取り沙汰され、9.11後テロが身近な単語になった世代でもある。
私らはそれでも戦争というものは基本的に反対だし、そもそも戦争などというものは身近に感じたこともない。
私より下の世代は、祖母や祖父から戦争の話すら聴いたことがないそうだ。
前述した40代から60代の世代はそんな私たちを平和ボケしていると揶揄する。だから、ここで言っておきたい。


平和ボケしていて何が悪い!!!


平和を批判するのであれば、戦争とはなんぞやという話になる。
軍事力を強化すれば外交の時有利に立てる。軍隊を持っていなければ侵略者からの攻撃に備えられない。今の腐った若者を強くするためには兵役経験が必要だ。
戦争推奨者達は様々な理屈を並べるが、戦争とはすなわち銃弾が当たれば体が砕けて死ぬことである。
爆弾が落ちれば血の塊となって消えてしまうことである。
嘘だと思うならSuriye Devrimiというサイトを見てみればいい。
争いに巻き込まれた子どもや女性の痛々しい姿が写っている。男性だって例外ではない。
肉が裂けた男性の姿が写っているだろう。


そんな戦争を知らない若者が国に溢れている。十分幸せなことではないか。
そもそも軍事を強化せねば外国に意見を言えないとはどういうことなのか。
戦地で戦うのが兵隊なら、争いをなるべく避けるのが国の役目だろう。
軍事の強化とはすなわち政治家の怠慢である。
そしてその口車に乗せられる国民も国民だ。
常在戦場とは自分を律する立派な心構えだ。
しかしそれを栗林忠道指揮官が言うのと、いつでもお茶菓子が出てくる部屋にいる政治家が言うのではわけが違う。
私から言わせれば、今の政治家の方がよっぽど平和ボケしている。


◆参考サイト
※ショッキングな映像、写真があります。


東京都青少年健全育成条例の改正に伴いアニメや漫画における表現が規制されるという話がネットではもちきりだ。
性的描写を抑えるため、性犯罪を予防するためのこの法案がなぜ問題なのか。
それは規制する根拠が曖昧だからだ。
噂では「ドラえもん」ですら規制しようと思えば規制できるらしい。


なぜアニメや漫画だけが規制の対象になるのか。
実を言うとアニメや漫画だけが規制の対象ではないのだが、政治家の意見を聞いていると、どうもオタク文化のアニメや漫画を邪険にしているように窺える。
これに対して掲示板やミニブログでは様々な反対意見が飛び交っているが、私はある種アニメや漫画が的にされるのは仕方のない事だと思っている。
コミケや地方で行われるその類のイベントでは二次創作の同人誌が売られている。
中にはほのぼの系アニメのキャラがあられもない姿になっている同人誌も存在しており、下心満載の男はそういう物に興味を持ったりするのである。
ただ、それ自体は問題ではない。
問題なのは、配慮のないユーザーなのだ。
エロい本を堂々と公共の場で広げて読み始めたり、もう下着なのか水着なのか判別できない格好をした女の子がプリントされたカバンを自慢気に背負って電車に乗ったり、自分が未成年であるにもかかわらずR-18の本を買ったりと社会で生きる人間としてどうかと思う行動が多々見られる。
売る側も売る側で未成年と知りつつR-18の本を売ってしまう。
さらに誰がどう見てもエロい本なのに「そういった類の本じゃない」と平気で言い訳をする。
通常これが、出版社が行なっていることであれば会社に注意を促せばよい。
しかし同人はあくまで個人や少数で形成された、言わば個人店。
その個人店が集まる所では平気でマナー違反が行われるというのであれば、国としては表現そのものを規制するしかあるまい。
なにせ注意するべき会社のトップがいないのだから。

だからといって私は表現規制に賛成しているわけではない。
ただ、twitterを見ているとどうも自分たちのことは見直さず政府を一方的に叩いている意見が目立つ。
ほんとにアニメや漫画が好きなら自分の問題として捉えてはどうだろうか。
少なくとも私は、今のユーザーを見ていて真剣に捉えているようには見えない。