広島育ちの私は幼稚園時代に千羽鶴をこれでもかというくらい折り、小学校に通うようになると原爆がどれほど残酷な結果をもたらしたかを教わった。
サダコという言葉を聞くと大概の人はあのホラー映画を連想するかもしれないが、私はやはり原爆の影響で亡くなった女性のサダコさんを思い出してしまう。
広島から福岡に出ると、私は戦争に対する意識が県によってこれほど違うのかと感じた。
私が広島育ちだと自己紹介しても「お好み焼きを一週間に一回は食べるっちゃろ?」という意味不明な質問をされるくらいで、誰も平和教育や原爆ドームに関心を向けないのだ。
「はだしのゲン」という漫画も広島育ちの人ならあらすじを語れるくらい読んだ。
それが広島県外の人だと「読んだことあるよ。あの怖い話よね」というくらいの認識しかない。
まるでファンタジー世界の話でも語るような口調に私は今でも驚いてしまう。
原爆投下は紛れもなく私たちの国で起こったことで、まだ投下から百年も経っていない。
決してファンタジーの話ではないのだ。
今月十九日、はだしのゲンの作者中沢啓治さんが亡くなった。
原爆投下直後の広島を生き抜いた人がまた一人亡くなってしまったのだ。
広島では原爆の恐ろしさを教える語り部がいる。
しかし現在語り部の高齢化が問題になっている。
若い世代への引継ぎがどれほど円滑に行われているのか私は知らないが、そこまで上手く進んでないのではないだろうか。
早急な対応が県や市に求められる一方、私達若い世代も原爆や戦争に、より関心を寄せないといけない。


終戦から六十七年が過ぎようとしている。
戦場を経験した世代は高齢化し、戦時教育だけを受け戦場を経験していない世代が世の中で発言する時代がやってくる。
自称戦争に詳しい評論家は戦争でどれだけ儲かるかという空論を元に戦争の有益性を語り、自衛隊を軍隊にせよと声高らかに叫び、集団的自衛権を行使せよと訴える。
若い世代のほとんどは戦争の是非を問う判断材料すら持ち合わせていない。
戦場を知る世代が亡くなっていくこと、これは日本にとって財産が消えて行くことと同義だ。


戦争を知るために戦場に行く必要はない。まずは「はだしのゲン」を一巻から読み直してみてはどうだろうか。
金属が不足する中、国民は鍋を国に献上し、芋を泣く泣く齧った事実を知ることになると思う。
富国強兵など決してありえない。
それを太平洋戦争で日本自らが証明しているのだ。



中古カメラ屋の店主と話し込んだ。
話題はコンタックスT2というカメラについてだ。
昔からのカメラ好きでこのカメラを知らない人はいないのではないだろうか。
私も父の影響でこのカメラに未だ魅せられている。
このカメラは造りが非常に頑丈で、発売から二十年たっても現役で使っている人がいる。
頑丈だけが取り柄ではない。
レンズはカールツァイスで、シャッターボタンからファインダーまでもが丁寧に造り込まれている。
長く使い続けられるのはフィルムカメラの特権だ。
一方デジタルカメラの世界では新しい機種が出ると、前の世代のカメラは時代遅れになる。
今時500万画素のデジカメを有り難く買う人はいないだろう。
1000万画素を超えるのが当たり前になってきたからだ。
メーカーも新機種を発表すると前の機種と比較して「ほら、前の物よりこっちの方が優秀でしょ」というアピールをする。
古い機種が切り捨てられていくのがデジタル製品の世界なのだ。


さて、明日はいよいよ投票日だ。
自民党の安倍晋三総裁は随分前から民主党の失敗を挙げて、それを指摘してきた。
いや、新聞やネットを見ていると、出てくる政党が揃いも揃って民主党の汚点を列挙し「私の政党ではそんな失敗を致しません」と叫んでいる。
国民はどうだろうか。
テレビや動画共有サイトで脚光を浴びている政党や立候補者に目が行き、そこに一票を入れようとしていないだろうか。
第16代アメリカ合衆国大統領のリンカーンは「一票の方が一発の銃弾より強い」という名言を残している。
投票に行けるということは名誉なことで、責任を負うということなのだ。
家電屋のカタログを見ているのとは違う。
前の政党よりマシという考えだけで投票していいものではない。
本来憲法改正や国防軍など国民は望んでいなかったはずだ。
大震災の影響で帰宅できない人や米軍の騒音に悩まされている人がいる。
最優先でしなければいけないことはたくさん残されている。
明日の投票前にこの国にとって何が必要なのか、全員でもう一度考え直すべきだろう。


例の店主は毎日コンタックスのカメラを使い続けている。
デジタルカメラは買う気にならないそうだ。
私がその理由を尋ねると、店主は「前の世代を馬鹿にして新しい物を作るやり方は好かん」と断言した。
忘れてはならない。前回民主党を選んだのも我々国民なのだ。