結論を先に述べてしまうと、「良い子」「資格をとれば大丈夫」「芸術家向きなのかもしれない」である。
筆者自身ニート経験者で、ニート脱退の過程の中で出会った様々なニートやその親が頻繁に使っていた言葉を選んでいる。



一つ目の「良い子」。
これはもう言わない親はいないんじゃないかというくらい多い。
我が子が良い子なのは結構なことだが、それをいい訳に使うのは感心しない。
「お宅のお子さん、もう何年も何もしてないですよね?」「はい。でも、あの子はホントは良い子なんです」なんていうやりとりを聞いたことはもう何回もある。
断言するが、社会に出て行くのに「良い子」であることは当たり前。
むしろ、家では悪い子なのに社会ではニーズに応えてきびきび動ける人の方が役に立つ。



二つ目の「資格をとれば大丈夫」。
もちろん、大丈夫ではない。
今時資格なんて持ってたって何の役にも立たない。
確かに一時期資格ブームはあった。
私が中学生くらいの時だったと思う。
大人でも「とりあえず漢検受けようか」なんてのん気なことが言えた時代である。
だが、資格ブームは去った。
テレビで流れる資格関係の宣伝は、不景気を盾に顧客を増やそうとしている企業の口車だ。
そもそも資格は何かをするために必要なもの。
資格をとることを目的にしている時点で世間から外れていると思って欲しい。



最後は切り札の「芸術家向きなのかもしれない」だ。
安心して欲しい。
あなたのお子さんは特別な力もない、ただの社会に出れない凡人だ。
私だってド底辺とはいえアーティストの端くれ。
プロの方々にお会いしたことは何度もある。
彼らは、もう、ほんとに近寄りがたいオーラをまとっている。
ものづくりに対する精神はもちろん、普段の会話で出てくる言葉も一般人とは比較にならないセンスがある。
それ以上に他人の見てないところで尋常じゃないこだわりと努力がある。
繰り返して言う。
お宅の子どもに才能なんてない。
単に家の外で挨拶ができないだけだ。



ニートの問題は必ず子育ての問題とリンクしている。
だからと言って乱暴で厳しく接すればいいという意味ではない。
課題は十人十色で、解決法もまたしかり。
一方でどの家にも共通する問題点は無意識の内に外との関係を遮断していること。
今はこういう相談を受けてくれる窓口は多い。
我が子に異変があったら意固地にならず自分を反省し、外に耳を傾けてみよう。


突然だが私は新聞配達のバイトをしている。
深夜皆が眠っている間にバイクを走らせ、アパートの階段を駆け上がってポストに新聞を突っ込む。
労働環境はそれほど悪くないと思っている。
ただ一つ面倒くさいことを挙げるとすれば、それは配達員も新聞の契約をしないといけないことだろう。


正確に言うと契約は義務ではない。
別に契約しないからといって解雇されるわけでも、いじめられるわけでもない。
ただ単に「あー、そうですか。契約しないんですか」という目で見られるだけだ。
新聞の営業まわりをしている人なら身を持ってわかっているだろうが、今の世の中新聞紙なんて売れない。
ほとんどの専売所は夕刊の配達を止めている。
営業の人と喫煙所で駄弁っていると「お前みたいな若い奴ははやく辞めろよ」と説教される。
ライバル紙の専売所がなくなっていたなんてことも珍しくない。
それだけ不景気なのである。
景気の良い頃は新聞の専売所で正社員をしていたら月収百五十万円を超えるなんてザラだった。
配達員には無料で新聞が配られていた。
椅子に座っているだけで広告のお願いが舞い込んできた。
今や広告はネットに取られ、新聞は携帯端末で見るのが当たり前になってきている。
営業の人は言う。
「こんだけネットが普及してたら新聞なんていらないわな」。
しかし専売所の店長はそうはいかない。
売上のノルマがある以上、例え身内である社員に対してでも売らないといけないのだ。


同じようなことは他の業界でもある。
例えば家電屋や携帯ショップ。
ネットの契約数を上げるために社員に契約を迫る。
時々アホななんの需要もなさそうなデジタルフォトフレームを売りつけたりもする。
若い女の子向けのアパレルショップもそう。
社員割をちらつかせる。
働いてる子もよくわかってないのか、毎月服を買う。
買いすぎて家賃を払えなくなったなんて事例も聞く。
昨年の末は年賀状の販売ノルマがニュースに取り上げられていたが、もうどこもこんな状態なのである。
ものなんか作っても売れやしない。
売れやしないから身内に売る。
でも、本来お商売の世界で売れないものは必要とされてないものなんだから、お店は不必要なものを身内に売っていることになる。
おかしな話だ。
これをどう打開すればいいかは私にはわからない。
が、そろそろ日本の経済もバカになってきているのは確かなわけで。

いつかどこかで決壊するんじゃないかと思っている。