プライベートで引きこもり支援の方や実際に無職の若者と接する機会が多い。
安易にカテゴライズしてはいけないと思うが、私は彼らに共通の特徴があることに気づいた。
それは生き方と働き方を混同している点だ。

親が言ったのか学校で教わったのか知らないが、家で「働くこととはなんぞや」みたいなことを考えながら隙を見つけてはオナニーをする連中は、社会では“演じる”という技術が必要だということがわかってないように思う。
昔読んだ本の中で「働くこととは役者になることだ」と書いてあった。
要は社会で働く上でありのままの自分なんて需要がないのである。
人生を通して見ればやりたいことをやるとかありのままの自分というのは大切なことだ。
が、働くことにこの考えを混ぜるのはマズイ。
お商売というのは相手のニーズに答えるということなのだ。
相手が求めていることに対してきちんとお返しをしないといけない。
そんな場でありのままの自分なんて許されるだろうか?
例えば魚屋で働いている人間が魚について詳しくなかったらどうだろう。
「なんで知らねえんだよ!」とお客が怒ると、魚屋は「はい。実は私、花が好きでして、ホントは花屋になりたいんです」なんて返されたらたまったものではない。
これはその人個人として付き合うなら面白いだろう。だが魚屋としては失格だ。

教育関係の方とお話をすると面白いことを聞いたりする。
特に若手の教師に多いようで、「なぜテストを受けさせるのか?」とか「学校の勉強は人生に役立つのか?」なんて議論をクソ真面目にする連中がいるそうだ。
ナンセンスな議論だ。
そんなものは出題者に求められているからとはっきり生徒に教えれば良い。
テストというのは将来役立つかではなく、何を求められて、何を答えたらいいかを学ぶツールだ。
人生に役立たせるのは教師ではなく生徒自身。
それを下手に哲学的に教えるから「働くとは何か?」とか考えながら家に引きこもる若者が現れるのだと思う。
社会では他人のニーズに答えましょう。ありのままの自分なんて捨てなさいという教育をそろそろ始めてもいいのではないだろうか。
役者の衣を脱ぐのは家に帰ってからで十分なのだ。


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