高校時代とても厳しい先生が担任だった。
見た目はデトロイトの黒人ラッパーのようで、外見通り力も強かった。
週一回行われる先生オリジナルの英語の試験は難易度が高かった。
赤点を取った者は追試。
追試の内容は一回目のテストより捻った問題が多く、勉強の仕方に工夫が必要だった。
追試も赤点なら英単語200回書き。
部活の練習時間を削り、休日も学校で単語を書いたことがある。
英語以外の教科にも煩かった先生は、成績があまりにも酷い生徒を呼び、皆の前でゲンコツをした。
時には反省しない我々に対して地震が起きるくらい激怒し、生徒を床に叩きつけたこともあった。
だが、先生の行為に追い詰められて自殺を図ろうという生徒は一人もいなかった。
当時は意識していなかったが、ゲンコツをした分先生は私達をフォローしてくれていたのだと思う。
先生は海外に転校する生徒のためにお別れ会を計画したり、文化祭の準備の時に遅くまで私達に付き合ってくれた。
山のように配布された英語の受験対策プリントは全て先生お手製。塾の先生顔負けの出来だった。


今回の体罰自殺後、大阪で開かれた保護者懇談会では「叩くことも情熱の内」と保護者側が発言。
文科省副大臣の谷川氏は前々からいじめ防止のために学校に武道家を在籍させるよう提案している。
私は呆れてしまった。
世間は情熱と暴力を間違えていやしないだろうか。
情熱を信念だとするならば、暴力は感情である。
自分の思い通りにいかないことに腹が立つから叩く。これが暴力である。
一方「生徒はできる」と信じ、できない生徒をできるように導くのが信念だ。信念が思いを熱することで、情熱に変わる。
あなたの身近にこれを勘違いしている人がいたら、ぜひ山本五十六の指導者としての格言を教えてあげてほしい。
どこにも「殴った数だけ人は成長する」とは書かれていない。


高校時代、あまりにできの悪い私達のためにプリントを作りすぎた先生は、腱鞘炎になってしまった。
クラスのお調子者がそのことで先生をからかうと、翌日から配布される英語のプリントのフォントがホラー映画特有のおどろおどろしいフォントに変わっていた。
ゲンコツができなくなった先生なりの仕返しだったのかもしれない。
怒られた日々が続いたが、なぜか、ゲンコツを食らっていたことより楽しい思い出ばかりが蘇るのである。


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